土曜日, 8月 25, 2007

最後のブログ

池袋を離れる日。その当日になった。大学入学が決まって上京してきて、10年。もうだいぶ街に馴染んで産まれた時から住んでいるかと思うくらいだったのだが、今日、ここを出て行く。正直すごく寂しい。

東武や西武といった大きなデパートがある割には10分歩けば住宅街で、1人暮らしをするにはそこそこ安い物件もゴロゴロ。鉄道は山手線、埼京線、湘南新宿ライン、丸ノ内線、有楽町線、新線(副都心線)と東武に西武。どこに行くにもアクセスには文句なしの条件。新宿コマの前で待ち合わせだったとしても、30分あればDoor to Placeで着いてしまう。東武百貨店は2000年以降に大阪の梅田に阪急がでっかく出来る前までは日本一の売り場面積を持った百貨店だった。その物量にすぐ手が届くこの場所はすごく居心地が良く、地方には無い「手を伸ばせばなんでもある」を実感させてくれた。本屋も多くて東武の上の旭屋書店、西武のLibro、ちょっと前までは日本最大級の売り場面積とか謳っていたジュンク堂。そして今は無くなってしまった芳林堂。大きな本屋だけでもこれだけ密集してある。便利だったな。

大学入学が決まって、母親と部屋探しに新宿の不動産屋に行った。ま、そこでは物件を選べなかった。安くて風呂トイレつきの物件という条件の上に、秋葉原と大学まで1本でいける場所。やっぱり上京するからには色々込めたい願望やらがあって、とりあえず大学の学生部が紹介している物件でも見てみるかということになった。次の日、また朝から特急に乗り水戸から東京へ向かい、大学の掲示板にあった「池袋徒歩8分・ユニットバス・6畳」の表記。これ見てみるかーと思って池袋へ。大家の家に着くと違うタイプの部屋が2部屋あると。で、一つは完全孤立の玄関がちゃんと外にあるタイプ。でもこれはなんとなく嫌だった。次に見せられたのは共同玄関タイプの物件。玄関を見たときに「あ、これいいかも」と思って、部屋をみて決めた。すぐに大家の家に戻って契約を済ましつつある時に大家の携帯に電話が入り、俺の今決めている物件を契約したいという。本当に寸でのところで今の部屋を決めることが出来たんだな。

それから10年。本当は学生しか住めない物件であったが、それも何とか騙し騙し契約更新を続けて10年。

池袋は中国人や韓国人が外国人の割合の中でも飛び切り多いが(特に中国)、そういう人たちが作るコミュニティの一角のアジアっぽさというか危なっかしさが、一歩ひいた日本人としてはいい味を出していた。池袋を本拠にする指定暴力団も、日本人ではない人間が仕切る有名な極道なわけだが、そのちぐはぐさも、ま、一歩ひいた住民としては…、良くないか。時折事件がおきると上空で旋回するマスコミのヘリが沢山出現するわけだが、その中で飛び切りうるさいのは朝日だった。

二郎。これとの出会いはバイト先から近かった目黒の二郎だったのだが、そのときは今のように知識がまるでなくて、たまーに何度か食べたというくらいだった。俺をジロリアンにしたのは池袋。要町のフジマルがなければ、多分、はまってなかったろうな。

ま、そんなわけで池袋は良い街だった。将来、マンションを買うとしたら、たぶん、きっと…。

さようなら池袋。ありがとう池袋。

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