月曜日, 9月 11, 2006

長岡観光して越後湯沢と水上に寄り道して帰る

 新潟3日目。花火も終わって後は帰るだけ。行きは高速バスで来たが、帰りは鈍行で延々と東京まで帰ることにしていたので、とりあえず駅で時刻表を確認。水上行きの電車は少ない。10時32分の次は13時46分。13時46分を逃したら16時20分。どうやらこれが都内に戻る終電らしい。ここから乗り継ぎがうまくいっても5時間はかかるわけだから、16時はさすがにパスだ。そんなわけで13時46分発に乗ることにして、長岡観光をすることに。駅改札脇にある観光案内所で色々聞くが、やっぱりここまできたら日本酒が飲みたいということで、酒蔵見学をすることに。バス乗り場6番線(だったかな?)で関原方面行きのバスを待つ。ま、どのバスに乗っても関原に行くみたいだけど。

 と、バスに揺られて約20分。そんなこんなで着いたのが関原酒造だ。予約なしで見学が可能なのと、駅からのバスの本数が多いので行きも帰りも便利だろうという目論見。

 受付を済ませると若いお兄さんが出てきた。どうやらこの人が説明してくれるらしい。まずは瓶詰めの機械から説明を受けた。説明は割愛。で、ラベル貼りの機械の説明も聞いたが、どうやら1種類のラベルを連続で貼ることしかできないらしく、それ以外は手でラベルを貼っているとのこと。すんげー大変そう。

 次は蔵の中を案内された。酒蔵に入ったのは生まれて初めて? いや、ウイスキーとかなら入ったことがあるなぁ。ま、そんなことはどうでもよく、中越地震の影響がここにもあるらしい。蔵の建設自体が2百年だか3百年だか、そのくらい古いこともあって土台が地盤に固定されていなかったことから、地震で建物が崩れたみたいな被害は受けなかったみたいだが、表から見た限りでは全く分からないところで蔵の壁の内部が地震の影響で崩れ落ちていて、温度を一定に保つという蔵の役目が果たせなくなっているというのだ。その影響で貯蔵タンクには一見して分かるような不必要な銀色のベルトが見えていた。これで貯蔵タンクの温度を適温に保っているらしい。ところが、この冷却装置を全てのタンクに装着するのにもお金が掛かるので徐々にやっているとのこと。ぱっと見は地震の影響がみられないところにも、傷跡は深く残っているんだなぁと思った。


 蔵の2階はちょっとした博物館のようになっていた。木製のエレベーターみたいな役割をする大きな滑車や、醪袋(もろみぶくろ)、昔の酒瓶や桶など、酒造りの道具をいろいろみられた。





 そして最後は試飲。これが楽しみ出来たのだ。瓶詰め前の処理方法により、様々な種類に分かれることが分かった。ま、日本酒通でもなければ分からんねぇ。で、全く殺菌処理していない(つまり酵母菌を殺していない)お酒を飲んだが、これは日本酒とは違う感じがした。香り自体も日本酒とはちょっと外れる。で、どんな香りかといえば…、酔っ払っていて覚えてないです。ま、とにかく日本酒な感じではなかったことは覚えている。

 一通り説明が終わって酒蔵を出たときに「米」について聞いたところ、やはり新潟産の米は使っていないようだ。兵庫県の山田錦を使っているみたい。やっぱりなー、というのが聞いたときの感想だったけど。酒造りの話を聞きまくっている人なら兵庫県の山田錦は聞かない名前じゃないだろう。さすがにこのことについては新潟の酒蔵の人たちも「米どころ新潟」の名前に恥じる問題と感じているらしく、新潟産の米で酒を造ろうと色々試行錯誤をしていると聞いた。話を聞く限りでは10年もすれば新潟産の米で造られた日本酒が飲める日が来るかもって俺は感じた(然るべき量が流通するってことでね)。

 で、この時既に、俺のポケットの中で携帯がブーンブーンと暴れていたのだが、お酒の話はちゃんと聞いておこうと無視していた。だが、これが結構大きな問題で、チョーむかついた。そんでもってむかついたついでに撮ったのが、目の前にあった関原村の道路元標。


 こんな所で道路元標に出くわすと思ってなかったので、ラッキーな気分。ま、ネットでは既出な存在だったので、そこは残念だったけど。ちなみにこの時彼女は日本酒のお買い物中。実家に日本酒を送っていたらしい。買い物終わって出て来た彼女に気付かず道路元標を撮影していた俺は誰が見ても元標オタク…。

 またバスに揺られて駅まで戻る。時間は12時過ぎ。水上行きの電車まで1時間半ある感じ。でも、このまま長岡で電車待ちで腐るよりも、12時33分発の越後湯沢行きの電車に乗って途中下車でもした方が良いんじゃないかということになって、急遽その電車に乗ることにした。慌てて駅弁を見るけど、なんと新潟には地元名物的な駅弁がなかった…。仕方なく買ったのは「富山名物ますのすし」。って! なんで新潟に来てまで都内で買えるようなますずし買ってんのよ! って思ったけど、これしかなかったんだよ。電車の発車時刻まで時間が無かったしねー。確かに新潟は米どころだけど、じゃあ米の上に載せたり米と一緒に食うような特産物を挙げろっていわれたら、答えに困るなぁ…。確かに良く知らない。ま、そんなこんなで発車ギリギリに電車に乗った。


 電車に乗ったあとは、黙々と車窓を見るのみ。浦佐駅で田中角栄の銅像がみられるかなーと思ったけど、全然見えなかった。降りなきゃやっぱり駄目なのね…。と、1時間20分してようやく越後湯沢。途中下車ってことで改札の外に出る。新幹線が停まる駅だけあってでかい。それとお土産物屋が充実してる。ここで見つけたのが温泉と新潟の日本酒の試飲コーナー。温泉は水上で入ることにして、試飲コーナーへ。500円でおちょこ5杯、試飲が出来る。

 この日は残念ながら中越のお酒が清掃の関係で飲めなかった。で、色々と飲んだわけだが…。

 酔っ払うよね、ここ。日本酒に慣れていないと結構酔うはずです。種類は豊富で文句はないんじゃなでしょうか? うちらはここだけでも十分に楽しめました。

 さてさて、水上行きの電車は15時5分発。つまり長岡でうちらが乗ろうとしていた13時46分発の電車ってことだわね。1日に5本しか新潟方面から水上に行く電車がないわけ。しかも終電が越後湯沢発17時55分。都心感覚だと早すぎるわー。でも田舎ってこんなものなのかもしれないねぇ。ま、もう鈍行電車の旅に慣れたので、すたこらさっさと電車に乗り込んだ。この先ループ線があることを知っていたので楽しみにしていたが、疲れもあって2人とも寝てしまった…。

 水上に着いたのは15時44分。1時間掛からない。結構長いトンネル通るしねぇ。とりあえずここで再び途中下車。駅前の旅館案内所で立ち寄り湯が出来る旅館・ホテルを聞く。で、選んだのが水上ホテル聚楽。正直、建物の外観がところどころ古そうだし気が進まなかったが、駅から一番近い物件だったし、お風呂が大きいと案内されたのでここにした。

 で、お風呂だが…。

 リニューアルされていたのか、結構良かった。体を洗ってまず最初に入ったのが露天風呂だったのだが、なんと目の前の山を電車が走っていく! ま、電車はどうでもいいんだけど、温泉街にあっては風呂が命なわけで、そこら辺はきっちりリニューアルして新設のホテルに負けないくらいの新しさだった。サウナもあるし。脱衣室も新しかったし、お風呂を上がって相手を待つ待合場所みたいなところでも無料で麦茶やらが飲めたし。ま、平日で人も少なかったこともあり、存分に楽しめました。

 お風呂を上がったあとは少しクールダウンして、駅に向かって歩いた。で、乗ろうとしたのが17時30分発の電車。これで高崎まで行けば、あとはなんとでもなるだろうということで。駅で時間が余ったので缶ビールを飲む。電車にも持ち込む。そして寝る…。

 高崎着は18時33分。ご飯でも食べようと途中下車をしてうろうろするも、特産とかそんなもの調べるのも面倒だったので、駅の中にあったうどん屋で食事を済ます。本当はだるま弁当を食いたかったが、お腹がそれを受け付けるほど余裕がなかったんだなー。

 で、何分発かは忘れたけど、湘南新宿ラインに乗って一路池袋を目指す。あとは寝っぱなし、だったかなー? こんな感じで今回の旅行は終わり。旅行以外の余計な部分でいらぬ邪魔が多々入ったが、それを蹴っ飛ばしてなくしてくれるくらい楽しかった。てか、国内旅行って結構贅沢な感じだよねー。今回の旅行で鈍行列車にちょこっと目覚めてしまった感じ。特急派だったけど、知らない土地をのんびり旅をするのもいいもんだと思った。

 それにしても、今回の旅行は写真を撮ってないなぁ。それだけ精神的に疲れていたとみえる。

0 件のコメント: